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成長株投資のレジェンド、ウィリアム・オニール氏が2023年5月28日に亡くなられました。当時90歳でした。
オニール氏が創設したIBDのメンバーやデビット・ライアン、ミネルヴィニ氏らが深い悲しみと、彼への敬意と感謝を示しました。
IBDの提供するYoutubeでは、各人がオニールへの思いを伝える動画がアップされていました。
本当にみんな感謝や涙を見せていて、こちらまでグッとくるものがあります。
見ていると尊敬を集めるオニール氏ですが、どうも投資家として素晴らしいだけの人物ではないようです。
彼と関係する周りの人の反応を見ているとそれだけでない一面が見えてきます。
こんなに人から感謝される人はどんな人生を送ったのだろうか?
投資家としてだけでなく、人としてのオニール氏に興味を抱きました。
いつも投資法を学ばせてもらっている御仁です。
そんな彼はどんな人物だったのか?
投資だけでなく、人生でどうだったのか?
今回は投資ではなく、オニール氏の生きざまについて学んでいきたいと思います。
- ウィリアム・オニール氏について
- 投資で成功した人の人生とは
- 成功者の追い求めたこと
オニール氏は、将来有望な株を見つけ、株価が大きく上昇するタイミングを狙い投資をする成長株投資で有名な投資家です。
成長株投資の重要人物といえばまずこの人の名前が挙がるのではないでしょうか。
過去の膨大なチャートパターンや先人らを調べ、独自の観点から投資法を確立していきます。
急上昇前の銘柄の特徴を7つピックアップし、その頭文字をとって名付けたCAN-SLIMが有名です。
他にも、投資会社や、投資関連の会社を作ったりと活発に活動されました。
投資情報サイトの『investor‘s business daily』や投資調査ツールの『market sumith』も彼が手掛けました。
彼の投資法をまとめた本『オニールの成長株発掘法』は世界中で400万部以上売れたベストセラーで、成長株投資のバイブルになっています。
- 前向き、謙虚、ハードワーク!
オニール氏の性格は前向きで、謙虚で、ハードワークを旨としていました。
オニール氏の生まれた1930年代前半は世界恐慌の後遺症がまだ残る時代です。
生活的には困難な幼少期をすごしています。
ですが、その逆境は彼が高邁な人格を形成する一因となりました。
彼は弱者であり困難な状況にありながら、努力し克服する経験をしました。
それはつまり、
これは誰にでも成し得ることで、その手助けをしたい、その方法を教えたい
という気持ちに繋がっていると思います。
彼は20代で投資に大成功をしました。
その後も、
- 投資会社を作ったり
- 機関投資家と個人投資家の間にある情報格差を埋めるためのツールを開発したり
- 自らの投資法を本にまとめて出版したり
と活発に投資家のために尽力します。
当時かなり稼いでいたわけですから、投資法を公開せずに秘密にしていた方が彼にとってはいいことです。
しかしリスクをとってでも人のために彼は投資法を公開しました。
オニール氏はとても謙虚、努力家、前向きで、そして人がより良い人生を送ることに人生を通して尽力した人物です。
よくどうすれば人がより良く生きれる手助けをできるか?といことを考えていたようです。
人の人生に影響を与える
今回の死去に関する動画などを見ていると、彼のお陰で人生が変わったという人がいます。
彼のもとで働いて3度の全米投資大会に優勝したデビット・ライアン氏はオニール氏との出会いで人生が変わったといいます。
彼はオニール氏の会社に直接行って受付の人に仕事させてもらえないかと頼んだところ、次の日にオニール氏と面談して仕事をできるようになったそうです。
ライアン氏は、『無償でなんでも仕事をする、オニールから学びたいだけです!』とこの時に受付で熱く頼んだようです。
オニール氏はやる気や能力がある人には誰にでも広くチャンスを与えようとしていたようです。
これは稀なケースかもしれませんが、オニール氏の人柄が伝わるエピソードです。
- 極貧の幼少期!Dust Bowlを生き抜く!
1933年3月25日オニール氏はオクラホマで生まれます。兄弟はおらず、一人っ子でした。
一歳頃に両親は離婚、母親に引き取られ、祖母と母にオニール氏は育てられます。
それはダストボウル(Dust bowl days) と言われる困難な時代でした。

著作:NOAA George E. Marsh Album, theb1365, Historic C&GS Collection
それは1930年代前半から中盤にかけてアメリカの大平原で起きた深刻な自然災害です。
長期の干ばつと風により、土地が荒廃したことからダストボウルと呼ばれました。
多くの家族がダストボウルを逃れる為に移住を余儀なくされました。
そんな中、子供も家計を支える為に働くことが多かったようです。
オクラホマは特に厳しくそれが起こった場所の一つです。
オニール少年も家計を助ける為に、できる仕事をさまざまやりました。
新聞配達、雑誌の販売、ピーナッツの補充など。
新聞配達のルートは3つを掛け持ちするまでになります。
子供の頃に、厳しい経済的困難な状況というものを目の当たりにしてオニール氏は成長していきました。
オニール氏は当時を振り返り次のように語っています。
『一人っ子は甘やかされると言われるが、私は甘やかされた記憶がない。仕事をしなければならなかった。』
- 20代で投資の道へ、そして若くして成功を掴む!
14歳でダラスに引っ越した後、高校、大学を卒業後、空軍に入隊しアラスカ駐在を経験します。
軍隊時代に買ったプロクターアンドギャンブル5株が彼が買ったはじめての株でだったそうです。
その後、25歳の時にロサンゼルスのハイデン・アンド・ストーンカンパニーに入社。
株式ブローカーとして働き始めます。
彼は当時としては珍しいコンピューターを活用した投資を始めた一人でもありました。
やがて、過去の膨大な量の株式を調査し、そこから独自のCAN-SLIM投資法を考案していきいます。
それは大きな成功株を掴むことになります。
いくつか当時の彼の大勝ち株を紹介すると。
代表的なのはクライスラー、シンタックスが挙げられます。それとコルベットの空売りも大きな取引になりました。
シンタックスへの投資は5,000ドルが一年ちょっとで200,000ドル以上になりました。
この頃の1962年10月から1964年12月の26ヶ月で口座の資金を20倍にしました。
早くから投資で成功を収めると、30才でニューヨーク証券取引所の会員権を購入。当時、最年少での購入でした。
投資での成功をきっかけに彼は自身の会社を立ち上げ、投資家を助ける為に尽力していきます。
- 人が成功するのを手助けしたい!リスクをかえりみず起業・投資を通じた人助け!
オニール氏は人を手助けしたい気持ちが大きい人でした。
投資の成功の手助けのみならず、人としての成長や、成功のチャンスを与えたり。
ですが自身が苦労して成功を掴んだという経験もあります。
ただ与えればいい、助ければいいというものではありませんでした。
努力する人、やる気のある人には成功を掴めるように手助けしてあげたり、機会を与えていたようです。
社員の人の話では、オニールの指導法はすこし変わっています。
自ら、こうするようにと指示をすることはほとんどなかったそうです。
いつも自分で気づくまで待っていて、本人が気づくように手助けをしていました。
時にはそれが失敗することであっても、失敗を待って、そこから学ぶように諭していたそうです。
なんとも懐の広い人物です。
また自身のもつ投資法や知識についても惜しげもなく人に伝えました。
新しいことにチャレンジしては、その体験をすぐに人とシェアしたりしました。
彼ほど成功した投資家で自身の投資法や知識をシェアした人はいないのではないか。
とも動画では話されていました。
成功した投資家が追い求めたものは、人の手助けをし、成功する人を見ることだったのかもしれません。
彼の近くにいた人々は彼によい影響を受け、そのことに感謝をしています。
オニール氏は若くして投資で成功し、人生における金銭的な問題はなくなりました。
名誉も地位も確立し、金銭的なことも問題でなくなった時に成功者が求めるのは何なのか?
それは自分の成功ではなく、人の成功でした。
投資を通じて市井の人がよりよく生きれる手助けをし、励まし、困っている人の為に無料セミナーを開いたり。
やる気のある人には仕事を与えたり、奨学金の制度を作ったり、自分の経験やいいと思ったことは人とシェアしました。
そうやって、周りの人にいい影響を与えていきました。
人の手助けをしたい、また成功する姿を通して、自身の幸福があったのではないでしょうか。
人の話に消費はあきがくると聞いたことがあります。
成功者の回想話なんかを見ると、一年ほど遊んだものの、結局また仕事に戻ったりする話はよくあります。
いくら物理的に豊になっても、旅行やレジャーだけでは人生における満足は得られないことがわかります。
また、人間は人との関わりの中で幸福を感じるといいます。
オニール氏は投資での成功をとおして、多くの人に影響を与えてきたのだと思います。
周りの人の幸せの為に尽力し、また彼らもオニール氏に感謝をしました。
それはオニール氏自身の幸せにもつながっていたのだと思います。
成功をどう使うか?人生において参考にすべき一つの生き方を示してくれていると思いました。
オニール氏を調べていて、名言を見つけましたのでシェアしたいと思います。
生き方について効く言葉ですね。
“I never met anyone, or heard of anyone, or read of anyone who was successful who was a pessimist.”
“You have to be positive , or you’ll” never get anywhere .’’
(成功した悲観主義者に会ったことも、聞いたことも、読んだこともない。)
(ポジティブでなければ、どこにもたどり着けないよ。)
オニール氏について語る時、誰もが彼のことをポジティブ、楽天的といいます。
リスクをとって事業を始めたり、多くの革新的なことをやり遂げて来た人です。
その彼の姿勢はポジティブでした。
成功するために必要なことの一つを教えてくれています。
オニール氏は多くの成功者の伝記を読んだと言われています。
続いてはオニール氏と公私ともに親交のあったデビットライアン氏は次の言葉を紹介しています。
“He taught me that details are so important and are the difference between just ordinary and outstanding results.“
(細部がとても重要、それは普通の結果と傑出した結果の間にある違いです。)
これはデビット・ライアン氏がオニール氏から聞いた言葉です。
オニール氏の投資法を近くで学び、一緒になって投資セミナーで講師を数多くこなしてきたデビット氏。
細部が結果を大きく左右するという言葉を大事にしています。
ハードワークを重視していたオニール氏らしい言葉です。
実際、オニール氏の銘柄研究は細部に渡ります。
時にはチャートのバーの一本一本を評価して現状を把握します。
また、基準に見たない銘柄をオニール氏が買ったところを見たことがないとデビット氏は語っています。
オニール氏の投資法を学ぶものとして心にとめておきたい言葉でした。
せっかくなので偉人オニール氏から学べることはないか?ということで役立ちそうな点をピックアップしてみました。
その場所の優れたものを探しやり方を取り入れる。
ブローカーとして、何もわからない状態で仕事をはじめた時に最も役立ったことについて語っています。
要は周りを見回して、自分より優れたものがあれば研究し、やり方を真似したということですね。
当時彼が駆け出しの頃、優秀なファンドマネージャーに注目し、彼らの行動を調べて自身の投資にも活かしました。
誰もが熱心に取り組むことで投資結果を改善できると話していたそうです。
辿り着くにはそれなりに努力する必要があることを教えてくれています。
ですがそれは努力すればできるということです。
当たり前のことですが、目標に向かって着実に一歩いっぽ進んでいくことの大事さを感じました。
投資というといざ勉強をしだすと、様々な知識を学ばないといけないですし、それでうまくいくかというとすんなりとはいかないものです。
どうすればいいか不安にもなります。
オニール氏が語るように、しっかりと学ぶことで投資がうまくいくようになるというメッセージは投資を学ぶものに希望を与えてくれます。
オニール氏は投資本を書きました、またIBDでは投資法の記事があったりし、解説動画を出したりしています。
つまりオニール投資を学ぶべき教材は豊富にあるということです。
あとはコツコツ学べばいずれ投資成果を改善することができるというのであれば、やってみる価値があるように感じました。
焦らず、地道にしっかり学ぶことで投資の成功に近づけるということです。
成功を自分の為にではなく、人を助ける為にも使ったということは生き方として素晴らしいと思います。
一人の人生として、そういう生き方もあるんだなと勉強になりました。
なかなか何ものでもない一般人には、遠い場所の出来事のようにも感じてしまいますが。
人にはその人の置かれた立場でできる範囲のことというのがあると思います。
彼は新しいことを知ったり、新しい投資手法を思いついたりすると、すぐ人とシェアしたそうです。
身の回りの役立つ情報の一つでもいいかもしれません。
自分のできる範囲でいいので、人の為にできること、助けになる事を考えて生きるのがよりいい人生を送るライフハックではないでしょうか。
ペイフォワードな生き方が素晴らしいと感じました。
ということで今回は米国投資界の偉人でビルの愛称で呼ばれるウィリアム・オニール氏について調べてみました。
オニール氏は困難な幼少期を過ごしながら、大きな成功を掴み、多くの人のより良い人生の為に尽力されました。
その生き方は投資の偉業だけでなく、一人の人生として、素晴らしい生き方を私たちに示してくれました。
彼が自らの投資法を公開してくれたことは、投資をする人にとってはとても役に立ったことだと思います。
投資家としてだけでなく、ひとりの人間の生き方として学びを多くのこしてくれたオニール氏。
多くの人に惜しまれながらこの世を去りました。
あらためて、投資家を超えて素晴らしい人がいて、その人の残したものから学んでいると思うと感謝の気持ちが湧いてきます。
ありがとうオニール、そして安らかに。
- オニール氏は投資家としてだけでなく、人としても素晴らしい生き方をしました
- その生き方は、私たちの人生をより良く生きるためのヒントになる
- 偉大な功績を残してくれたオニール氏に感謝